【今日のトリビア】日本が気象衛星「ひまわり」を打ち上げていたとき、フランスではギロチンで処刑が行われていた

フランスでは、1981年に廃止されるまで、死刑執行をギロチンで行っていた。

Wikipediaより引用
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最後に執行されたのは1977年、ハミダ・ジャンドゥビというチュニジア人労働者がギロチンで処刑された。
ギロチンは中世のイメージが強いものの、ドイツやベルギー、ベトナムでも1970年台まで使用されていた。

ギロチンが登場するまで、フランスには160人の死刑執行人と、3,400人の助手が存在していた。これが、ギロチンの導入後は減少の一途を辿り、1870年11月には、1人の執行人と5人の助手が、フランス全土の処刑を一手に担うようになった。
フランスでは総裁政府期から平時の死刑制度を廃止していたが、復古王政で再開された。
歴史的に処刑は公開される見せ物の要素があったが、第二次世界大戦直前の1939年まで、フランスでもギロチンによる公開処刑が行なわれていた。しかし人道意識の高まりから、その後は積極的に目立った場所を避けて刑務所の門前で早朝に実施するようになり、広場などで白昼堂々と行う事はなくなっていた。
1939年6月17日にジュール=アンリ・デフルノーによってパーセイルズで行われたドイツ出身の殺人犯オイゲン・ヴァイトマンの死刑執行が最後の公開処刑となった。この処刑は盗撮され、映画館で公開された。これに問題を感じた法務省は、以降の死刑執行を非公開に切り替える事になる。そのため、これがフランスにおいて唯一映像に記録されたギロチンによる処刑映像となった。ヴィシー政権下では、レジスタンスのビラを配っただけで、ギロチン処刑された者がいた。また、堕胎罪で逮捕裁判され、死刑判決を受けて1943年に処刑されたマリー=ルイーズ・ジロー(英語版)もいた。
ギロチンは一見残酷なイメージだが、導入の経緯、および絞首刑との比較から、欧州ではむしろ人道的な死刑装置と位置づけられており、使用されなくなったのは比較的近年のことである。フランスでは死刑制度自体が廃止される1981年9月までギロチンが現役で稼動していた。フランスで最後にギロチンによって処刑されたのは、女性を殺害した罪に問われた、ハミダ・ジャンドゥビというチュニジア人労働者であり、1977年9月10日にフランス最後の死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)であるマルセル・シュヴァリエによって刑が執行された。これがフランスでギロチンが公式に使用された最後の例である。
アルジェリアやベトナムなどフランスの植民地でも使用されていた。

Wikipediaより

一方その頃、日本では初の静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げられ、後のひまわり1号として天気予報に役立てられた。
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他には、王貞治のホームラン世界新記録や有珠山の噴火もこの年である。

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