【今日のトリビア】学問の神様「菅原道真」の成績は、中の上

Wikipediaより引用
菅原道真は幼少から英才教育を施され、大出世し官吏の最高位まで上り詰めた人物である。
人臣でありながら正一位の位階を受け、文字通り学問の神様となった。

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) – 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

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経歴を見ると、とんとん拍子で昇進を続けた正に天才であった。
律令制においては課試と呼ばれる試験があるが、その中の最難関の「方略試」では、天才道真であっても中の上という成績であった。

貞観12年(870年)方略試に中の上で合格し、規定により位階を三階を進めるべきところ、それでは五位に達してしまうことから一階のみ昇叙され正六位上となった。

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しかし、政治の機微に関する問題は満点に近い上の上~上の下という成績にはならないのが普通であり、ごく一般的な裁定だったとされているが、道真自身は不服だったもよう。

このとき方略試の試験官だった都良香卿は、菅原道真公の答案に対して及第点である「丁第(中上)」の判定を下しています。国家の政策に関する重要問題であるために普通は満点に近い上上から上下といった高い判定が下ることはなく、非常に優秀だった父・菅原是善公でも方略試での判定は同じく「丁第(中上)」で、学生としてはごく一般的な判定だったといえますが、菅原道真公自身はこの判定に全く納得がいかなかったようで、採点に関する不満を詩に書いたこともあったそうです。

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方略試受験は三年後の貞観十二年であり、「氏族を明らかにせよ」「地震を弁ぜよ」という問題に返答している。当時の大学者である都良香による採点で「中の上」という成績により及第した。道真としてはこの判定に不満を詩で示しているが、父・是善や三善清行、紀長谷雄といった同時期の碩学の多くが「中の上」でありこの程度の評価が通例であったようだ。

れきけん・とらっしゅばすけっと―菅原道真

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