【今日のトリビア】フランス・パリ万国博覧会に、江戸幕府が出展していた

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日本の派遣団(Wikipediaより)

万国博覧会は世界から多数の参加国が出展を行い、世界の最新技術や製品をPRする博覧会である。
万国博覧会といえば昭和の象徴である1970年の大阪万博、最近では2005年に行われた愛・地球博でおなじみの愛知万博など、日本人にも馴染み深い。

その万博に、実は江戸幕府も参加していたことを知っているだろうか。
1867年4月1日から行われたパリ万博では、江戸幕府と薩摩藩、佐賀藩が出展した。折しもフランスでは日本ブームが起きており、人気を博したという記録が残っている。

1867年のパリ万国博覧会(せんはっぴゃくろくじゅうななねんのパリばんこくはくらんかい, Exposition Universelle de Paris 1867, Expo 1867)は、1867年4月1日から11月3日までフランスのパリで開催された国際博覧会である。42ヶ国が参加し、会期中1500万人が来場した。
パリで開催された国際博覧会では2回目となる。日本が初めて参加した国際博覧会であり、江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展した。幕府からは将軍徳川慶喜の弟で御三卿・清水家当主の徳川昭武、薩摩藩からは家老の岩下方平らが派遣された。

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ヴィトンの「モノグラム・キャンバス」柄は1896年に2代目のジョルジュ・ヴィトンがコピー商品、模倣防止のために製作、発表しました。
この模様は、当時パリの万国博覧会をきっかけに大流行していたジャポニズムの影響を強く受け日本の家紋をモチーフにして作られました。

「ルイ・ヴィトン (LOUIS VUITTON) と家紋」

私たちのよく知る星と花の柄にイニシャルを組み合わせた「モノグラム」は1896年に考案されたもので、そのモチーフは日本の家紋であると言われています。そのなかの丸の中に星がデザインされたマークは、薩摩・島津家の家紋にヒントを得たそうです。

1867年、徳川家とともにパリ万国博覧会に参加した薩摩藩は、出品した12代沈寿官の白薩摩が世界の絶賛を浴びました。そのときに島津家の家紋を目にした当時のルイヴィトンの関係者らが、それにヒントを得てモノグラムの図案ができたのだそうです。

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島津氏の家紋は「丸に十の字」である。しかし、昔は外郭の丸はなく、単に筆書体の「十」だけであった。 これは鎌倉初期の島津忠久着用の甲胄につけてある十文字でわかる。また、『蒙古襲来絵巻』にも、 久親・久長の兵船の旗に十字紋があり、『 見聞諸家紋』でも筆書体の十字である。ところが、徳川期になると、 礼装用の紋に転化したために、多くの武家が外郭に丸を付けるようになった。島津氏もこれにならい以後、 定着したものである。

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薩摩島津氏

ジャポニスム(仏: Japonisme)、あるいはジャポニズム(英: Japonism)とは、ヨーロッパで見られた日本趣味のこと。フランスを中心としたヨーロッパでの潮流であったため、ここではフランス語読みである「ジャポニスム」に表記を統一する。
19世紀中頃の万国博覧会(国際博覧会)へ出品などをきっかけに、日本美術(浮世絵、琳派、工芸品など)が注目され、西洋の作家たちに大きな影響を与えた。1870年には、フランス美術界においてジャポニスムの影響はすでに顕著であり、1876年には”japonisme”という単語がフランスの辞書に登場した。

(左)歌川広重『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 (右)ゴッホ『ジャポネズリー:雨の橋(広重を模して)』

(左)歌川広重『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』
(右)ゴッホ『ジャポネズリー:雨の橋(広重を模して)』

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