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【今日のトリビア】殯(もがり)は邪馬台国でも行われていた

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平成28年8月8日、天皇陛下より象徴天皇の在り方についてのお言葉があった。
その中で陛下は殯(もがり)の儀式についても述べられ、火葬を希望されていることも話題となった。

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(宮内庁)

 

殯(もがり)とは古式の葬儀様式であるが、遺体が腐敗するまで安置し、遺族が故人の死を確認することを指す。

殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。

Wikipedia

現在の通夜は、殯(もがり)の名残りとされている。

通夜は殯の風習の名残で、殯の期間が1日だけ、あるいは数日だけに短縮されたものとする説もある。

Wikipedia

 

実はこの殯(もがり)は、弥生時代に卑弥呼がいた邪馬台国でも行われていたと考えられている。
邪馬台国の記載がある魏志『倭人伝』によると、人が亡くなったあと十数日安置し、棺に入れて盛土し、塚をつくったとのこと。

其死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒巳葬擧家詣水中澡浴以如練沐

魏志『倭人伝』

 

死んだときには[葬るのに]棺はあるが、槨はない。土を積み上げて冢(塚)を作る。はじめ死んだときに、十余日間、もがりをする。そのときには肉を食べない。喪主は大声で泣き、他の人たちは、行って歌い舞い、飲酒する。葬りおわると、家中総出で、水中に行って洗い清め、練沐のようにする。

古代史研究の最前線 邪馬台国 P26

「停喪」は、文字に即していえば、喪に服するのをやめることである。しかし、文脈からすれば、もがりをすることのようである。

古代史研究の最前線 邪馬台国 P26

 人が死ぬと10日余り停喪するとある。「喪を停むる」の「喪」とは、死者を悼んで一定期間、祝い事などを控えることで、これを実践することをしばらく先延ばしにするというのである。その「喪を停むる」期間中は、殯(もがり)という、死者の霊魂を慰め、その復活を願うという葬儀儀礼が行われる。しかし、10日余りも安置すれば当然腐敗してくるわけだが、その腐敗の過程を目のあたりにすることで、その死を再確認したのだともいわれる。

邪馬台国 古代日本誕生の謎 P141

 

6世紀中頃の古墳である鶴見山古墳では、実際に殯(もがり)が行われていた痕跡が発見されている。

銅鏡片にはヒメクロバエの蛹の跡や毛髪痕があり、これは遺体の腐敗がある程度進んでから埋葬されたこと、すなわち殯(もがり)の存在を示している。殯は文献からその存在が想定されていたが、実際に確認された例として貴重である。

Wikipedia

 

殯(もがり)は現代の葬儀とはかけ離れており、「皇族の方々には多くの負担がかかる」という陛下のご心配もよく理解できる。
卑弥呼の時代から現代まで残る風習があることに驚くとともに、生前より自身や身内の死に対する準備を行う「終活」という活動が存在するが、天皇陛下も終活をされる時代が到来したことに、私は驚いている。

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