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【今日のトリビア】かぐや姫は実在していた

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かぐや姫といえば作者不詳の竹取物語の主人公。
竹から産まれ、月へ帰るという斬新なストーリー展開であるが、かぐや姫の登場人物には多くの実在のモデルが存在している。

まず、竹取物語は遅くとも西暦950年頃には成立したと考えられている。

『竹取物語』は、日本最古の物語と伝えられ、「物語の祖(おや)」とも言われる。遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。

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そして、気になるかぐや姫のモデルは、垂仁天皇の妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)と推定されている。

その根拠は次のとおりである。

大筒木垂根王:竹取翁
「筒木」は筒状の木と解すれば竹、また「星」の古語「つづ」との関わりもあるか。また、同音の「綴喜」には月読命を祀る樺井月神社と月読神社を祀る式内社が鎮座する。
大筒木垂根王の弟に「讃岐垂根王」(さぬきたりねのみこ)がおり、竹取の翁の名「讃岐造」(さぬきのみやつこ)を連想させるが、現存する原文には「さかきのみやつこ」か「さるきのみやつこ」であり「さるき」では意味が分からないので「さぬき」と変えて「讃岐神社」が奈良県広陵町にあったから述べているにすぎない。本来の「讃岐垂根王」の「讃岐」は、四国地方のことであり畿内になく遠い存在と言えよう。『古事記』によるとこの兄弟は開化天皇が丹波の大県主・由碁理(ゆごり)の娘「竹野比売」(たかのひめ)を召して生まれた比古由牟須美王(ひこゆむすみのみこ)を父としており、「竹」との関連が深い。『日本書紀』では開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の後宮に入るべく丹波から召し出された5人の姫のうち「竹野媛」だけが国に帰されたという記述がある。

5人の貴公子:阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂
竹取物語には壬申の乱で活躍した実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。5人の貴公子のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。
また、車持皇子は藤原不比等とされ、不比等は天智天皇の落胤との説があり、母の姓が「車持」であるためといわれる。
石作皇子のモデルは多治比嶋と推定され、多治比嶋が宣化天皇の四世孫で、「石作」氏と同族だったためである。

迦具夜比売命:かぐや姫
ツヅキタルネの娘。カバヰツキ姫の妹。
イクメイリヒコ(垂仁天皇) の内侍。
姉の「カバヰツキ姫(樺井月姫)」の名が、迦具夜姫と「月」とを結び付けたように思われる。

樺井月姫
サホ姫亡き後、垂仁天皇(イクメイリヒコ・ヰソサチ) の二人目の内宮となる。
夢にヤマト大国神の垂(シデ) を賜り、ヤマト姫を孕むが病み、3年かかっての出産後に死亡。
贈り名:ツヅキカバヰノツキの神。

Wikipedia,ほつたつまゑ解説ガイド

この物語を作った人物は不詳であるが、当時の識字率や政治・中国の秘宝や伝承などに明るい人物であるとされている。

また政治批判の側面も見受けられる作品であることから、候補のひとりにあの学問の神様である可能性もあるという。

平安時代に成立し今なお親しまれていることから、いずれにせよ高い文才をもつ人物に違いない。

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